自分の身体も”レンタル”していると考えれば、少しは生きやすくなるのかも?!

【Attention!!】

今回の記事は、筆者の考察・究明に基づいた私見です。思想・信仰はそれぞれに違いますので、全ての方に当てはまることではありません。くれぐれもご自身の信念を否定せずに「そういう考えもあるのだな」と数多くある”伝聞のひとつ”程度に参考にしていただけたら幸いです。

好きなだけじゃダメだけど、好きじゃないとダメ

前身ブログを経て、こちら”惑星アミーゴ”をはじめ本格的にブログ運営をスタートしてから気づけば2年の月日が流れていました。

「ブログ飯(ブログ収益で生計を立てること)」を目指していた頃とは違って収益なんてほとんど見込めなくなったけれど、こうやって今でも好き勝手つらつら書き綴っていられているのは、ごくシンプルに「ブログを書くのが好きだから」という気持ちだけ。

何か行動を起こす所以に「好きなだけじゃだめだ」とよく言われますし、自分自身もそれは痛いほど理解しています。しかし究極突き詰めて考えてみると、行動を進めていく先でなんの利益も恩恵も受けなくなったときに、それでも”続けていこう”という動機には「好きだ」というたったひとつの気持ちしか残存しないとも思うのです。

”借景”という言葉の魅力

ブログ運営を本格的に始める遥か以前、当時世に浸透していなかった不動産会社の”お部屋探しサイト(自社ポータルサイト)”へ掲載するコメント作成のアルバイトを経験しました。何を隠そう筆者の「原点」とも言えるお仕事。該当物件の写真撮影(加工)・図面作成・コメント作成→社員さんに納品といった一連の流れの業務。

まだ20歳になったばかりのピカピカ成人の無知な筆者は、語彙力を高めるために過去作成者のコメントを参考にしていたのですが、その流れのなかで「借景」という言葉を知り、とても魅了されてしまいかなりヘビーに使いまわしていました。

例え住まいが築年数の古い四畳半の部屋であっても、窓を開ければ公園の豊かな緑が飛び込んできてまるで絵画を飾っているような感覚。景色を借りることで部屋の価値が何倍にも上がるって素敵だなと思ったのです。

そんなもう十数年前によく使用していた「借景」という言葉がなぜ今でも心に響くのかな・・・ふと自分なりに考察したところ、今のライフスタイルに通ずるからかもしれません。

現在の住まいは単身用より少しばかりゆとりがある1Kタイプの部屋ですが、ヤドカリ歴を含め二桁年数も暮らせていたのは周りの環境が大きく関係してます。ちょっと足をのばせば人で賑わう商業地域なのに、住まいの周辺は公園が多く子育てにも適している。

そして何より住まいの建物(マンション)周りは邸宅が割と多く存在し、我が家の陽当たりと風通しに一役かっているんです!!夜に明かりを消して真っ暗になった部屋で寝ころんだら、ベランダの窓と別にある小窓(開けられない)の景色がちょうど一続きになっているように星空が見えるので「まさにこれこそ”借景”ではないか!」と最近になって気づきました(遅い…)

広く考えれば、自分も”自分の姿”を借りているのでは?!

そんな”借景”の言葉から連想し、あるひとつの考えが脳裏に浮かびあがってきたのです。今以上科学が進歩し医学が目覚ましい発展を遂げたとしても、資産も貯蓄も雀の涙程度で平々凡々な筆者の生存率は100%ではないわけで。魂が生き続けるかどうかは別として(そのあたりは諸説あるし)いつかは身体をどこかへ返さなければならないのであれば、これも「レンタル」なのだなと。

そうなると住まいも衣類もパソコンもスマホも・・・(以下省略)いつかはどこかへ返さなければならないのか、なんて考えだしたら不思議とすごく楽になりました。

そして今の人間関係も永遠なんてことはないし、「輪廻転生」すら本当にあるかどうかは誰にもわからない。ただひとつ言えるとすれば全て有期であるということ。

慈愛するかしないかはその人それぞれだとしても、もう今の姿を借りちゃったものは仕方ないので、日々できるだけたのしく生きていきたいものです!(締めくくりの歯切れの悪さに定評がある筆者)

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